親子大工の生い立ちと「家づくりにかける想い」

ベルズハウジング
BELLS HOUSING

~地元の皆様のスマイルが見たい
親子で歩み続けてきた工務店~

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代表の生い立ち



昭和27年2月5日

山形市高瀬地区にて
石山家の次男として誕生。
( 現 代表 鈴木正弘 )




産まれて幼い頃に父親が亡くなり
母親が一人で二人の子供を育てる毎日でした。




経済的にも貧しい家庭で
4つ上の兄とは小さい頃から
贅沢などさせてもらえず、
今は当たり前のテレビなどありませんでした。


洋服はほとんどがお下がりという時代でした。


早く母親を楽にしてあげたい一心で
中学を卒業すると
地元にあった工務店での大工修行に励みました。




当時は今とは違い、徒弟制度の時代だったので
厳しい日常生活では大工仕事はもちろんの事。


住み込みしていた親方家族との生活で
生きていくための知識を
身に付けられる貴重な体験をした。




親方の教えは、

「大工の技能は先輩を見て覚えろ」

「大工道具は命と一緒だ」

「大工は一生が学びだ」

大工としての誇りを持ち、
がむしゃらに腕を磨いた8年間の修行を経て、
29歳で大工として独立を決意しました。



当時は、今のように
材木を機械で構造体を作っていく
(プレカット工法)割合が少なく、
新築の多くは墨付けをして、
手加工する(手刻み工法)が主流で、
出来ないといい棟梁として見られない思いが
仕事をするプライドやモチベーションになりました。


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第1棟目、懇意にしていた友人の家を建て、
その後次々と友人・知人が依頼してくれました。

その応援してくれる気持ちに報いるように
「約束は必ず守る」
ということを座右の銘に
今まで仕事に励んできました。


32歳に建主様の紹介で妻と出会い結婚。
( ここから鈴木家に入る )




子宝にも恵まれました。
その時に産まれた第一子が...




私の生い立ち





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1984年10月3日に上山市中山に産まれました。

鈴木 新一の誕生です。

鈴木家は長男の誕生に大喜びだったそうです。
(田舎でいう跡取りですね)




私の両親がつけてくれた名前。

新一(しんいち)今となってはとても好きです。




学生の頃は、クレヨンしんちゃんが
流行っていた時代で、
「しんちゃん、しんちゃん」って
呼ばれるのが嫌いでした。




小学校4年生の頃、
私の名前の由来を聞きました。




新 = 新しい事にも
一 = 1番にチャレンジ(挑戦)

新しい事にも1番にチャレンジして
頑張る人間になって欲しい。
と名付けたそうです。


今はその名前がすごく好きになりました。


そんな状況でも、チャレンジして生きていきたい
そのように日々暮らしています。




幼い頃の私





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幼い頃の私は、小児喘息やアトピー体質で、
両親には夜中発作が起きるたびに
病院に連れて行ってもらうくらい
体が弱い子供でした。




小学校4年生の時、小児科の先生から
「スポーツして病気を治してみないか」と
話をされました。


その一言がキッカケで始めた
地元の野球チームが学生時代の
私を変えてくれました。




小学校から帰ってくると、
早く先輩みたいにうまくなりたいと思い、
グローブとボールを持って、壁当ての
キャッチボールを毎日している野球少年でした。




地元の野球チームに入って、1年目は
試合に出ることはできませんでしたが、
初めてみたその年の上山市の野球大会で、
次々と勝ち上がり、なんと気づいたら
決勝戦の舞台に!




そして、勝つことができ、優勝する瞬間を
目の当たりにして、小さな野球チームでも
勝つチームワーク、仲間の大切さを学びました。




この体験でたくさん練習して、上手になるにつれて
耐力もついて、病気にも克服していきました。




今思えば、新しい事も野球にチャレンジして
何かを真剣に夢中に取り組んだ
初めの1歩だったと思います。




大好きな野球で覚えた喜び





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中学校に入ると、
迷うことなく野球部に入り、
大好きな野球に毎日没頭していきました。




大会が近くなると、練習試合が毎週土日あり、
そのたび父は何も言わず、毎回仕事を休み
見に来て見守ってくれてサポートしてくれました。


今思うと休日もなく働いてくれていたんだと
父の優しさを感じています。




新チームになり、キャプテンエースになった
初めての大会で野球をしていて良かったと
感じる体験をしました。




順調に勝ち上がり、決勝戦を迎えました。

試合が進むにつれて会場は
全校応援になっていき、
満員の状態でした。




ピッチャーをしていた私が投球するたび、
大きな歓声が試合が終わるまで
鳴りやまない状態で、なぜかずっと鳥肌が立ち、
ワクワクしている気持ちが止まらず、
プレーしていたことを今でも覚えています。




試合には負けましたが、その時に自分が大好きなことで
多くの人が応援してくれて喜んでくれるという、
人間関係を築けたことが大きな財産になりました。




大工になった理由





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学校から帰ってくると隣にある
父の働く作業場からは、
材木を刻む(手加工)トントントンという
音が響いていた。




幼い頃から父に抱っこしてもらうと
木のにおいがしたり、
材木の端材を積み木にして遊んだり、
木で工作をしてみたり、
生活の中にあって当たり前の環境で育ったので
大工になろうと思うことは自然な流れでした。




しかし、大工の世界に入りたいと
父に話したときは、
「お前は、相当の覚悟があって大工を目指すのか」
と口酸っぱく言われたことを今でも覚えています。




なぜなら父も中学校を出て、よその釜の飯を
食べながら大工修行をしてきたので、
同じ道に歩むことにためらいがあったと
私が大工になった10年後ぐらいに
教えてもらいました。

米沢工業高校 建築系を卒業して、
住友林業の大工として
1年目の訓練校で2級技能士、
2年目、技能五輪全国大会に出場、
同じ若手大工と技を競い合いました。




周りには、自分が知らないすごい大工が
ゴロゴロいることを思い知らされました。


モノづくりの情熱が熱くなったのを覚えています。




大工の転機になる出来事





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大工の仕事を身に付けていただいた会社を退社して、
地元上山市で家業を継ぐことを決め、
親子での工務店活動をスタートしました。




前の会社では、新築工事がほとんどでしたが、
家業に入った頃は、

①下請けの新築工事

②下請けのリフォーム工事

という形で確かな技術を身に付けるため
日々真剣に家づくりを向き合ってきました。




完成するたび喜びでいっぱいでしたし、
どの現場でも達成感やその現場ごとの
思い出はありました。




家づくりにかける情熱は、人一倍あると
自負しておりました。




しかし、下請け工事ではお客様との接点があっても、
「こうしたら使いやすいですよ」とアドバイスを
したくてもできないという、もどかしい状況でした。




そして、仕事をこなしていくにつれて、
お客様の要望をきちんと聞いて、
思い描いているものをカタチにする、
失敗しない家づくりをしてもらいたい
と考えるようになりました。




お客様と私が納得できて安心して暮らせる
家づくりのためにやっていきたい!

そう考え、建築士の資格取るために
仕事を終えた後、睡眠を削りつつ
これまでにないぐらい勉強を続け、
取得することができました。




知り合いの方の紹介で、住宅の改修を
請け負うことになり、設計から打合せ、
施工まで自分ひとりで行いました。




下請け工事とは違い、
お客様と1対1で
打合せを進めていく中で、
大変な事はもちろんありましたが、
引き渡しした時の達成感と、
お客様からいだたく
「ありがとう」の感動は、
これまでにない感じたことのないものでした。


大工人生での私の転機になる出来事でした。




2017年 ベルズハウジング 始動





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代表である父に相談にいきました。

「新しく新築事業をしたい」と伝えたところ、
「わかった。お前がやりたいコトに挑戦してみろ。
ただ逃げずにあきらめるなよ。」と
肩を押してもらいました。




そして、私 鈴木新一は、
「お客様のスマイルがあふれる顔が見たい」

この感動を大切に2017年4月、
ベルズハウジングを立ち上げました。




徐々にではありますが、
新しいお客様の仕事も増えてきました。




また、私の人生のパートナーでもある妻が
一緒に新しい事業に協力してくれています。

お客様の「あーしたい」「こうしたい」を
たくさんインタビューしながら、
3人の子育ての真っ最中の夫婦が
お客様の家づくり、人生設計の成功のために
全力で応援し、走り続けたいと思っております。




ベルズハウジングは、
上山でお客様に一番近い工務店として
この先も、身近なパートナーであり続けるよう、
お客様へのトータルサービスを考え、
日進月歩の精神でニーズに合った
新しい技術、情報、ノウハウを学び、
誠心誠意でお応えして参ります。


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ベルズハウジング 鈴木新一

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